【スポーツ自転車カスタムの話】自転車屋の兄ちゃん(おっさん)の主観
以前のエントリー
で、「遅い」とか「体が痛い」などの実害を取り去ること以外が目的のスポーツ自転車カスタムには、【自転車屋の兄ちゃん(おっさん)の主観】は要らない、と書いたのだが、その不要なものがどうしても入ってきてしまう状況というのがある。それは、友人に自転車屋がいる場合だ。趣味は主観であるかどうかはさておき、自分の趣味に他者の介在を許さざるを得ない状況になる。
私は、幸か不幸か同一の趣味を共有している上、知識や経験において圧倒的なヴォリュームを持つ友人が多くはない状態でここまで生きてきた。趣味の定義はまた別の機会に書くとして、自分の好きなモノとその範囲がけっこう重なる友人はいますか?或いは、自分の好きなモノを流通させている友人がいますか?というのがポイント。
この回答が”いる”となると、自己肯定感や自己満足に対して他者がじわりじわりとにじり寄ってくる(あるいはあっという間に距離を詰められる)。俺だけの趣味だったものが侵食されていく。
自分の趣味に対して自分よりも知識や経験がある友人というのは、多分ほとんどの場合便利だ。その業界の定説や暗黙の了解についての理解へ最速で到達出来る可能性もある。しかし、一歩下がって考えてみると、そうして提供される情報には「彼の主観」や「超一時的なトレンド」なんかが影を落としている。多分。
それでもいいのだ!と割り切る胆力や、絶大な信頼を置いているのならそれでも構わないのだろうけれど、「コレハホントウニオレガヤリタカッタコトナノカ?」というのは定期的に考えてみるようにしたい。
でも、熱くなれる何かを共有できることって素敵だから困る。