【つぶさにミルフィーユ/森博嗣】読んだよ/計算型と発想型
37日ぶりの更新。記事の大枠を書き終えたのは、少なくとも1ヶ月以上前だと思われる。
100のエッセイが詰まっている文庫本。「28、正に俺!」と思って読了。
筆者と同じ感覚というか、作家と同じ感性というのが嬉しい、という正に厨二病。
28にはこんなことが書いてある。
ものづくりには、
- 計算型
- 発想型
の二つがあるよね。
筆者は後者だよ。後者だとこういうことになるよね。
こうなるよね、というのは発想型の場合「何かに使えるかもしれない」という理由によってモノが集まる、或いは捨てられなくなる、捨ててあるものを拾ってしまう。結果自らのテリトリーにはモノが溢れる。
そしてその集まったモノは、他人の目にはゴミとしか写らないものに成り下がったりする。困ったもんだ。
と、ただそれだけの話しなのだけど、スクラッチビルドとかミキシングビルドを得意とする(得意だと思い込んでいる)モデラーはけっこうこのパターンなんじゃなかろうか。
私の場合、極端な話【底辺5mm、高さ2mm、厚さ0.5mmの直角三角形】のプラ片が4枚くらいあるなら暫く取って置いたりするわけで。理由は二つ。何かに使えるかもしれないし、サイズが揃ったものを新たに切り出すのが手間だと感じるため。
使うかな?使わないかな?と、捨てるか否かの瀬戸際に追い詰められると「いやいや、いつか使うかもしれない」という思考が先に立ち、パーツはそっとストック箱(と言われているくずパーツ集積箱)へ戻されたりする。
落とし穴があるとすれば、そのパーツを探す時間よりも新たに切り出す時間の方が短いこともあるかもしれないってところか。
仕分けと編集してくれる人を雇いたいくらいだが、とっておくと決めた部品のデータは私の頭にしかないという時点で現実的ではないなと思う。