【CHAPPiE】観たよ/肉体が不要になる瞬間がくるのか?
ガンダム好きが原因の1つなのか、ロボットモノや未来の物語には手が伸びる(マウスのカーソルが伸びるのが正しいのか?)ストローです。
初見で嵌ったのはロボットではなく、Die Antwoord(Die Antwoord 公式HP/スゲー壁紙のイラストだ(汗)だったりする本作。映画鑑賞後、彼らのPVを片っ端から観てコイツはヤバイ、と。フロントマンの二人の関係はなんなのだ?と思いながら、役名=アーティスト名とか珍しいな!とか一定の衝撃を受けたのを覚えてます。その時期は覚えてないけれど、そもそも2015年公開だから割と最近なのは間違いない。
その後、生活の中に【映画】【読書】というのが幅をきかせるようになって、2回目を観て、今回(18年冬)がおそらく3回目。
今日まで、これ以外のロボットモノや未来の物語ってのを、漁ってるんだけど、やっぱりよく出来てる気がします。
結構、最近の作品でもインターネットの存在を度外視してる作品とか、それが使えない設定なのはわかったけどその原因に納得いく説明がなされてなかったり、という割と作品の序盤でゲンナリしてしまう話も多い気がするのは私だけでしょうか。
その点こちらの作品は個人的には納得できて、ラストシーンの後にどんな未来が待っているのか?というのが気になる(想像力を掻き立てられる)物語だと思ってます。
だって、ってここから大きくネタバレになりますが、最後に人間の肉体を持たないメインキャラ数が3人(敢えて単位は「人」)でしょ。
その内訳は
- 有能なエンジニア:ディオン
- 人工知能AI:チャッピー
- 母性に目覚めつつある(目覚めた?)ギャングの妻:ヨーランディ
彼らはそのあとどうするのか?どうなるのか?って考えると楽しめるという話。
まずディオンについて。映画は「南ア警察がロボット警官の使用を中止する発表」で終わっている。会社自体の弱体化が予想されることから会社の庇護は望めないだろし、そもそもロボット躯体なのでディオンであるという認知をされない可能性が高く、ハグレロボ確定だと思う。とりあえず、仕方なく、とにかくチャッピーを媒介にしてニンジャとヨーランディと生きるのかなと思う。
そしてチャッピーは余命を持った状態で生まれたものが、映画を通して不死への転生を遂げている。そして、なんと言っても中身は幼子(5日しか生きてない学習してない)である。善悪の判断はケースバイケースだというのも映画のテーマにあるのかと思うが、どちらに転んでもおかしくないと言える(ニンジャの圧力に不死身になったとはいえどもディオンが勝てるとは思えないが)。
最後が人のマスク仕様のロボット躯体で蘇るヨーランディだが、ディオンとチャッピーの遠隔操作によってスリープさせられた製造工場からは難なく脱出し、その後ニンジャと合流することは間違いないだろう。
この3人に、ニンジャを足した4人で生きていくと考えてみる。
彼らはまず何を欲するのか?というと、まずはニンジャのロボット化ではないか?
濡れ場がないという最近では珍しい映画でもある本作。ニンジャ・アメリカ・ヨーランディは、肉体的欲求からは遠ざけて作られたキャラクターなんじゃなかろうか?男女の性的な愛情表現というものを描く気がないというか、AIをテーマに掲げていることからくるのかもしれないが、人間の精神とか意識、感情にフォーカスしていることが見て取れる。
そう考えると、ロボット化することでニンジャが得るものに比べて、失うものはとても少ないのではないだろうか?
当然、酒も薬も要らないからギャングであることは必然ではなくなる。発電と整備設備を整えるための初期投資と躯体の乗り換えに金は要るだろうけど、それを確保してしまえば他に何が必要なのか?
エンジニア・ギャング夫妻の3人に育てられ、いつからか勝手に学び始めるAIの4人の物語は、その後どちらへ動くのだろうか?肉体(ロボットという躯体含む)が不要になる瞬間がくるのだろうか?
そういう方向へ私の思考はワクワクしていく。しかしながら映像栄えはしなそうだ。
それはそれとして、最後に気になるところとして
ヨーランディの意識を記録していたUSBの容量っていったい何バイトだったのだろうか?気になる。
監督・脚本 ニール・ブロムカンプ
チャッピー シャルト・コプリー
ディオン・ウィルソン デブ・パテル
ニンジャ ニンジャ
ヨーランディ ヨーランディ・ビッサー
アメリカ ホセ・パブロ・カンティージョ
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