【銀河鉄道999】【さよなら銀河鉄道999ーアンドロメダ終着駅ー】観たよ
タイトルや主人公の名前、メーテルや松本零士の作品であることは知っていたけれど、しっかり観たことはなかった本作。プラ板をいじりながら映画版を続けて2本。
- 【銀河鉄道999】1979年8月公開
- 【さよなら銀河鉄道999ーアンドロメダ終着駅ー】1981年8月公開
ということなので、どちらも私が生まれる前の作品ということになる。
一言、
機械の描写に驚いた。
ある程度勉強に時間を割かなければ太刀打ちができない数学よりも、感覚と体力で処理できる美術や国語、体育が好きだったので、自分は文系だと思い込んできた節がある(ここでは体育会系はよそへ置いておく)。というわけで、例えばエンジンの構造などはからっきしなんだけど、ガンプラやレゴという偽者を本物っぽく見せる努力というのには敬意を表する向きがある。そこへ来て惑星メーテルの崩壊シーンなどは、もう目が皿だったわけです。
現代のSF映画に比して、精緻な書き込みが為されているではないのだけれど、何処か本物っぽい説得力を持っているように感じてしまった。嗚呼、そのプレートはそんな感じで繋がってて、更にフラクタルなんだね、みたいな発見がある。
その原因はなんなのか?
学生時代のバイト先で読んだ【コクピット/松本零士】からの刷り込みなのか?はたまた手元に転がるプラモの欠片がリアルを感じさせたのか?その両方か?
「モビルスーツを立たせてるぜ(地球のやつら馬鹿じゃねぇ?)」みたいな台詞があったのはユニコーンの袖付兵士だったかな。この台詞に私は感動した。そうか、スペースノイドがもし実在したらその台詞を言うかもしれないと思った。
そういう想像力って、例えば学術的に宇宙であるとか無重力というのを理解してる(しようとしている)人が製作側に立って始めて為しえる表現なんじゃないかなという気がする。そして、それは21世紀現在の表現であって、当時の製作が手を抜いていたなんていうことでは決してない。
古い作品の上に今の作品は立っているし、当時の最高峰であるからこそ、今見ても本物っぽい説得力を持った絵に見えるんじゃないかと思う。
|
|
|